阿波藍と北海道

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阿波藍と北海道

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     アメリカ生まれのジーンズの色 「インディゴブルー」、日本の伝統の藍の色 「ジャパンブルー」。 
   まったく異なる国で、今でも、この同じ藍色「インディゴブルー」が愛され続けています。もちろん世界中で愛されている色 「インジゴブルー」
   と言っても良いかもしれません。そこで、この度、ジーンズの歴史、藍染めの歴史をふり返りながら、これらに関する用語を集めてみました。
   また、併せて、一般的な染織に関する用語も加えています。 ご興味のある方は、是非ご覧下さいませ。
   なお、今後も引き続き更新する予定ですが、今現在は、次のような内容でまとめています。
   「ジーンズ・藍染・草木染・染色・加工・糸・織物・衣服・紡織染加工機・色」の「概要、歴史、名称、技法、特徴など」。

阿波藍と北海道、あわあい

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阿波藍と北海道
北海道開拓初期における農業の主体は畑作農業でしたが、その畑作農業である藍づくりは、徳島の人たちが得意とする分野でもあり、北海道聞拓の大きな力となりました。

「明治4年6月、静内郡において葉藍が試作され、明治12年から本格的に藍の製造が始められました。」

また、「明治十ニ年仁木竹吉は、藍作を目的に徳烏県の麻植・美馬・三好の農民百十七戸三百六十余人を余市原野に入植させ、翌十三年はこの地において藍作を開始した。」

さらに、「滝本五郎は、北海道に移往し、大農法による農場聞拓を目指して明治十四年、実弟阿部興人と組んで徳鳥興産社を設立したが、同十八年には札幌郡篠路村の興産社農場に製造所を設けて[草冠に染](すくも)の製造に乗り出し全国に出荷した。」

などの資料が残っていることからしても、阿波藍(あわあい)が、北海道の開拓に大きな貢献をしたことは間違いありません。

ちなみに、北海道で藍づくりが行われた理由の一つに、北海道産の魚肥を安価に安定して手にいれることができたことが挙げられます。

つまり、本場の阿波では、藍づくりに必要な肥料(鰯を干したもの「干鰯(ほしか)」、ニシンを干したものなど)が、経費の4割を占めていました。

これからすると、北海道という地が、かなり魅力だったと思われます。

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